岩手県政150周年

Historyいわての150年

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Origin岩手の成り立ち

現在の岩手県ができるまで。
150年のあゆみを振り返ります。

戌辰戦争前の岩手県域
現在の岩手県域の北部を盛岡藩・八戸藩の南部氏、南部を仙台藩の伊達氏・一関藩の田村氏が支配していた。戊辰戦争の敗戦により明治元(1868)年に現在の岩手県域は、他藩の領域や政府直轄地 (他藩の取締)に分割された。
明治3(1870)年5月、全国に先駆けて盛岡藩が廃藩置県を願い出て、同年7月に盛岡県が置かれた。明治4(1871)年7月の廃藩置県では、現在の岩手県域は盛岡県のほか、八戸県、江刺県、胆沢県、一関県と、斗南県となった。
明治4年7月以降の岩手県域
明治5年1月8月以降の岩手県域
明治4(1871)年11月2日にはさらに府県統合が行われて、現在の岩手県域における二戸郡は青森県、旧盛岡藩領は盛岡県、旧仙台藩一関藩領が一関県となった。一関県は同年12月に水沢県、さらに明治8(1875)年11月には磐井県と変更された。明治5(1872)年には盛岡県は岩手県に改称された。
明治9(1876)年4月には磐井県が二分され北部の三郡が岩手県に編入。同年5月25日、宮城県に属していた気仙郡と、青森県の二戸郡を編入し、現在の岩手県域が誕生した。
明治9年5月25月以降の岩手県域