岩手県政150周年

Historyいわての150年

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Disaster災害

過去の度重なる災害に学び、
人命と財産を守る防災の先進県へ

東日本大震災津波

 平成23(2011)年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生(東北地方太平洋沖地震)。県内最大震度は6弱。地震発生から30〜50分後には沿岸各地に観測史上最大級の巨大津波が押し寄せた。大船渡市の綾里湾では遡上高40.1メートルを計測。県内の人的被害は、死者5,145人、行方不明者1,110人の合計6,255人。家屋被害はほぼ津波によるもので全壊・半壊を併せて26,079棟に上る。

※死者数、行方不明者数、家屋倒壊数はいずれも令和5年2月28日現在のもの

明治三陸地震津波

 明治29(1896)年6月15日午後8時過ぎ、三陸各地を巨大津波が襲った。直前の地震がさほど強くなく、当時は地震から津波避難を発想する人が少なかったことから、多くの人が逃げ遅れて命を奪われた。当県の津波による死者は18,158人、流出倒壊家屋6,882戸とされる。中でも被害が大きかった釜石町(当時)では人口約6,500人のうち死者4,000人以上、建物戸数約1,100戸のうちの約900戸が流出全壊した。

カスリン・アイオン台風

 昭和22(1947)年9月14日〜16日のカスリン台風は、本県山間部を中心に長雨をもたらし、一関市周辺で甚大な洪水被害に見舞われた。被害は死者130人、行方不明者38人、住宅被害は42,161戸に上る。翌昭和23(1948)年9月16日〜17日にはアイオン台風が襲来。カスリン台風からの復旧途中でもあったことから、死者393人、住宅被害は33,646棟となり、2年連続で大きな被害をもたらす未曾有の災害となった。

※写真はアイオン台風の被害

年表

明治29(1896)
三陸大津波、死者18,158人、負傷者2,943人、流失倒壊家屋5,527戸、流失破壊船舶5,456隻
大正7(1918)
スペイン風邪の流行
昭和8(1933)
三陸大津波、死者1,408人、行方不明1,263人、家屋流失2,969戸、焼失250戸、船舶流失5,860隻
昭和20(1945)
盛岡駅前空襲、7月釜石艦砲射撃
昭和20(1945)
寒波で玉山村薮川が氷点下35度を記録、本州最低気温
昭和23(1948)
アイオン台風、死者行方不明709人
昭和36(1961)
三陸フェーン災害、山火事続発
昭和43(1968)
十勝沖地震津波、死者2人、負傷者4人、被害総額約31億円
昭和46(1971)
雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突事故
昭和52(1977)
県下に大雨被害、被害総額77億円
昭和56(1981)
台風15号災害、被害額約831億円
平成10(1998)
火山活動のため岩手山が入山禁止に
平成20(2008)
岩手・宮城内陸地震、死者2人、負傷者37人、被害総額約209億円
平成23(2011)
東日本大震災津波発生、死者5,145人、行方不明者1,110人、家屋被害26,079棟
平成28(2016)
平成28年台風第10号災害、死者28人、行方不明者1人、被害額約1,428億円
令和元(2019)
三陸防災復興プロジェクト開催
令和元(2019)
台風第19号災害、死者3人、負傷者7人、被害額約302億円

❶カスリン台風

❷チリ地震津波

❸県防災ヘリコプター「ひめかみ」

説明文や年表に記載の日時と掲載画像の撮影時期は異なるものがあります。