岩手県政150周年

Historyいわての150年

トップ ≫ いわての150年 ≫ 医療福祉

Medical Welfare医療福祉

県民の命と健康を守るため、
広い県土に医療を届ける挑戦の歴史

岩手の医療

 明治8(1875)年、県初の西洋医学における総合病院として旧岩谷堂共立病院(現奥州市)が開院、明治30(1897)年には三田俊次郎が盛岡市に私立岩手病院(現岩手医科大学附属病院)を設立した。昭和初期まで無医村地域では医師の診療を受けるのは困難な状況であり、乳児死亡率が県内でも特に高かった豪雪地帯の旧沢内村では、保健婦、医師の充実、乳児の国保10割給付等を実施。昭和37(1962)年に日本で初の乳児死亡率ゼロを達成するに至る。
 平成23(2011)年の東日本大震災時には「いわて災害医療支援ネットワーク」を立ち上げ、岩手医科大学、県医師会や県医療局など医療関係機関が連携し、災害医療活動や支援活動を展開した。
 また、附属病院を含む岩手医科大学は令和元(2019)年に矢巾町へ移転し、地域先進医療の中核として医療・教育・研究に取り組んでいる。

※昭和10(1935)年頃の226市町村中、114が無医村

岩手県立病院のあゆみ

 岩手県は県立病院としては全国で最も多い、20の病院数と4,793床の病床数を持つ。県立病院の多くは、昭和初期に各地の農村漁村住民からの要望で誕生した産業組合による医療施設に由来する。さらに、昭和17(1942)年の国民医療法制定後に設置された病院や診療所も加え、昭和25(1950)年に25の病院と、40の診療所、病床数1,865を有する県立病院網が発足した。
 この県立病院網は現在までに統合や再編を行いながら「県下にあまねく良質な医療の均てんを」という理念を掲げ、本州で最も広い県土をカバーするための公的医療機関ネットワークを形成。地域における中核的な病院として、救急医療、高度・専門医療等を提供している。

年表

明治34(1901)
私立岩手医学校設立
明治44(1911)
私立岩手盲啞学校(現県立盛岡視覚支援学校)開校
大正9(1920)
日赤岩手支部病院開院
昭和25(1950)
県立病院発足(盛岡病院ほか16病院)
昭和26(1951)
黒石村(現奥州市)に県内初の公立助産所設置
昭和32(1957)
都南学園開設❷
昭和37(1962)
沢内村(現西和賀町)で日本初の乳児死亡率ゼロ達成
昭和39(1964)
国保乳児10割給付への助成を全国に先駆けて実施
昭和54(1979)
県立中山の園開設
昭和55(1980)
県高次救急センター完成
昭和62(1987)
新県立中央病院開院

❶県立保健所昭和27年の様子

❷都南学園

❸岩手県医師会 高田診療所

❹岩手県災害派遣チームの設置

❺岩手県立高田病院

❻岩手医科大学附属病院

説明文や年表に記載の日時と掲載画像の撮影時期は異なるものがあります。

クローズアップはこちら