岩手の商業
明治11(1878)年に第一国立銀行盛岡支店が岩手県初の銀行として開業。その後、明治29(1896)年に商業銀行として盛岡銀行が創設され、明治32(1899)年から岩手県の公金取扱いを開始した。なお、本店として建設された建物は、岩手銀行赤レンガ館である。
昭和28年(1953)年の商工会議所法及び昭和35(1960)年の商工会法の施行に前後して、各市町村において商工会議所や商工会が発足すると地域の商工業の発展に寄与してきた。
明治11(1878)年に第一国立銀行盛岡支店が岩手県初の銀行として開業。その後、明治29(1896)年に商業銀行として盛岡銀行が創設され、明治32(1899)年から岩手県の公金取扱いを開始した。なお、本店として建設された建物は、岩手銀行赤レンガ館である。
昭和28年(1953)年の商工会議所法及び昭和35(1960)年の商工会法の施行に前後して、各市町村において商工会議所や商工会が発足すると地域の商工業の発展に寄与してきた。
安政4(1857)年、大島高任の日本初の洋式高炉建設により、近代製鉄産業は釜石の地で産声を上げた。明治13(1880)年には官営釜石製鉄所が操業を開始、民営として再興を経て、昭和9年(1934)に日本製鉄となった。釜石は製鉄の町として大きく発展。昭和35(1960)年には従業員8,000人を有する大工場であったが、鉄鋼不況以降は人員削減や合理化が進められ、平成元(1989)年には第1高炉が休止。現在、釜石製鉄所は線材工場として操業している。
県南部の北上川流域では、高速交通の整備に伴い、昭和62(1987)年の「北上川流域テクノポリス計画」、平成5(1993)年の「北上中部地方拠点都市地域基本計画」などが進められ、工業団地や工業用水、教育研究機関の整備などに取り組んできた。現在では、自動車・半導体・医療機器関連産業などの集積や新たな技術を拓く人材の確保・育成などの取り組みが進められている。
❶小岩井農場
❷川徳呉服店(現 川徳)大正時代初期の様子
❸肴町商店街七夕まつり昭和37年の様子
❹岩手県中国大連事務所
❺いわて県民情報交流センター「アイーナ」
説明文や年表に記載の日時と掲載画像の撮影時期は異なるものがあります。
❶小岩井農場開設
❷川村徳助商店が川徳呉服店と改名(現 川徳)大正時代初期の様子
❸肴町商店街七夕まつり開催昭和37年の様子
❹岩手県中国大連事務所開所
❺いわて県民情報交流センター「アイーナ」開館